KOURA Visitor Center

Sacred place for marine sports

子浦ビジターセンター(KOURA PRIDE)

2020年2月より旧子浦観光協会の施設を改修してトレンディなパドルスポーツを安全安心に楽しめるように各種サービスをご提供しています。
静かな海面を優雅にツーリングするもよし、波のスリルを楽しむもよし。パドルを握って新たなアウトドアフィールドへと漕ぎだしましょう。子浦ビジターセンターはパドルスポーツの聖地を目指します。


子浦ビジターセンター杉原代表
元東西子浦区代表区長

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 南伊豆町三浜地区は歴史・文化、そして国立公園と全てを兼ね備えていますが、近年のトレンディ・レジャーの変貌から一時期は来訪者も減り急激に過疎が振興しました。しかし、その過疎の恩恵もあり、手つかずの自然環境を利用したパドルマリンスポーツの醍醐味や昭和レトロの街並みが残る西子浦地区など訪れてきた方々なりに楽しめるスポットが数多くございます。
 それらの埋もれた資産を皆様にご紹介し当地への旅が楽しい思い出になるよう、微力ながら住民たちと協力してお迎えしたいと思っておりますので是非子浦のファンになって下さい。


KOURA PRIDEとは?
-江戸時代から風待ち港として栄えた子浦の歴史-

 静岡県の最東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した、駿河湾と相模灘を隔てている半島の南西部に子浦海岸は位置しています。富士箱根伊豆国立公園の一部で日照時間も長く年間温暖な気候です。

 歴史的には所説様々ですが天武天皇9年(680年)畿内から遠い伊豆国は、律令時代には流刑の地とされていたとされており、12世紀末には源頼朝が蛭ヶ小島へ、鎌倉時代には執権北条氏の本拠地でもあることから、監視すべき重要(危険)人物が、1261年、鎌倉幕府に批判的な日蓮宗開祖の日蓮が幕府より流刑に処された地でもあります。


▼洋式帆船の時代の子浦の風景
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 今から三百年以上さかのぼる寛文年間海上交通は重要な物流手段でした、妻良・子浦は通称松下湊と呼ばれ、三津、鯉名と共に伊豆の三湊といわれていた。 天然の良港は古くより水軍の活動根拠地ともなており吾妻鏡によると1185年3月、 源頼朝は西国で平家と交戦中の北条義時以下の東国の御家人をはげますために鯉名湊と妻良湊から、兵糧米を積んだ軍船32艘を出航させたとの記録があります。 その後北条早雲が伊豆を平定したとき、 妻良の土豪、村田市之介も伊豆各地の土豪と共に早雲の軍門に降り、 以来伊豆衆21人の1人として北条家の家臣をつとめたそうです。
江戸時代になって、下田に船番所が設けられ海の関所として船の検問取調べが行われるようになると妻良・子浦の湊は海路の宿場町として賑わい、船宿が繁昌しました。 妻良の方は御城米船が繋り、子浦の方は一般廻船が停泊したそうで子浦の方が妻良よりも賑い東西の文化が入り混じった港町を形成していき、繁栄当時は遊郭まであったそうです。
その証拠に子浦は方言が無いと言われています。

▼東子浦に伝わる「人形三番叟」
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 その繁栄時の当地の文化レベルは高く、南伊豆東子浦に残る「人形三番叟」は大阪圏の文化が当時廻船によって子浦に持ち込まれたと考えらています。

 明治後半、帆船から蒸気機関に移行、鉄道の発達で海運が衰退すると、 船宿も減り妻良子浦もかつての賑わいはなくなり半農半漁の集落となった。 その後、県道の開通や南伊豆道路(マーガレットライン)などの道路網の整備により、 優れた景勝地として脚光を浴びるようになり、昭和40年代初め頃より民宿村として再び賑わいを取り戻した歴史の地です。

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    子浦ビジターセンターへのアクセス
    〒415-0532 静岡県賀茂郡南伊豆子浦7番地
     PHONE: 050-3559-9100 (9AM-4PM)